top of page

許す


“許す”という厄介なものを考えてみました。

夫婦の間で“許し難い事柄”が起こった時に

やり直そうとしている自分の中で かなりしつこくて持て余すのが

“許す”ということなのかなと思います。

「許してね。」「許すよ。」

それで何もなかったようにはできません。

記憶を無くさない限りは。

「一生かけて償うよ。」

その言葉も後々まで引きずりますよね、きっと。

何かをしてもらうたびに、これは“あの時の償いね”と受け取ってしまう。

そこには愛や優しさや思いやり、労りなど心地よい感情は見つけにくいですから。

もし、問題を乗り越えてやり直そうとするなら

許すということは 心のかなり隅っこにおいてしまうしかないかなと 私は思います。

許さなくても仲良くできます。

もっと突き詰めれば、許すっていったい何に対してなのかと難しくなるので、ここでは簡単に考えますが。

私も夫婦の間に“許し難い事柄”がありましたが、今は以前よりうまくいっています。

“そのこと”を許してはいませんが、

「それがどうかしましたか?」という心境が今の私に一番近いかもしれません。


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page