許す
“許す”という厄介なものを考えてみました。
夫婦の間で“許し難い事柄”が起こった時に
やり直そうとしている自分の中で かなりしつこくて持て余すのが
“許す”ということなのかなと思います。
「許してね。」「許すよ。」
それで何もなかったようにはできません。
記憶を無くさない限りは。
「一生かけて償うよ。」
その言葉も後々まで引きずりますよね、きっと。
何かをしてもらうたびに、これは“あの時の償いね”と受け取ってしまう。
そこには愛や優しさや思いやり、労りなど心地よい感情は見つけにくいですから。
もし、問題を乗り越えてやり直そうとするなら
許すということは 心のかなり隅っこにおいてしまうしかないかなと 私は思います。
許さなくても仲良くできます。
もっと突き詰めれば、許すっていったい何に対してなのかと難しくなるので、ここでは簡単に考えますが。
私も夫婦の間に“許し難い事柄”がありましたが、今は以前よりうまくいっています。
“そのこと”を許してはいませんが、
「それがどうかしましたか?」という心境が今の私に一番近いかもしれません。